こんにちは!totoです。
松本城へは松本駅から徒歩で約20分。バスやタクシーでも行けますが、天候が良ければ松本の街並みを見ながらの徒歩がおすすめです。
城下町の風情・佇まいを感じながらの町歩きを楽しめます。
松本城始まり
松本城は犬山城、彦根城、姫路城、松江城と並び、日本に5つしかない国宝の城のひとつです。
始まりは戦国時代の永正年間に造られた深志城。
深志城
1504年。松本城天守が築城される以前、戦国時代。
信濃の守護小笠原氏が松本平中心の井川から東の山麓の林地区へ移り林城を築城。
その家臣らが林城を囲むように支城を構えて守りを固めました。深志城は、林城の前面を固めるために造られた支城の一つです。
1550年。甲斐の武田信玄が信濃に攻め込み、小笠原氏を追放します。
1582年。織田信長は徳川家康らとともに武田氏を滅亡させ、同年の本能寺の変後、徳川家康が甲斐、信濃を支配下に置き、配下の小笠原氏を回復させます。
小笠原長時の三男、貞慶(さだよし)が入城。
深志城から松本城に改名されました。
この深志城が現在の松本城の前進であると言われていますが、深志城については曖昧な部分が多く、松本城築城の経緯は分かっていません。
1590年。石川数正が入封。その三年後、石川数正・康永父子(初代藩主)が天守築城に着手。翌年に完成したと推定されています。
松本城の歴代藩主は石川氏・小笠原氏・戸田氏・松平氏・堀田氏・水野氏の6家・23人。
瓦などにはさまざまな家紋が刻まれています。
5重6階建ての天守
外観は5重に見えますが、実は
外からは見えない3階部分があり6階です。
3階部分は下から二重目の屋根で隠れているため、窓がありません(明かり取りのみ)。そのため薄暗いです。
これは、「櫓造り」という手法で隠し階、暗闇重などと呼ばれています。
戦時は倉庫・避難所として使われました。
松本城天守群
5重6階の大天守を中心に、連結複合式呼ばれる構成で五棟の櫓が連なっています。
大天守を中心に、左奥が辰巳附櫓、手前、月見櫓。
右側が乾小天守。大天守と乾小天守をつなぐ渡櫓があります。
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月見櫓
月見をするための櫓。内部は吹き抜けになります。
徳川家光が松本に寄るという内意を受けて将軍歓待のために急遽造ったとされています。
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野面積み 算木積み(四隅)
天守・乾小天守・渡櫓の石垣は修理されていますが、400年以上前に積まれたままで、積み替えはされていません。
四隅の算木積みは、石の長辺と短辺を交互に積み上げ角が整えられています。
この日は、観光バスの団体客とかち合い普段よりも混んでいましたが、入り口で人数は調整されます。
石落(いしおとし)。
石垣を登ってくる敵を防ぐ工夫で狭間(さま)のように鉄砲を使っての攻撃も可能でした。
武者走り
写真左側の床よりも低い位置にあり、壁が緩く内側にカーブしています。
本丸御殿跡
松本城公園から。
赤い橋「埋橋(うずみばし)」は現在は通行禁止となっていますが、人気の撮影スポットです。
赤と黒のコントラストが映えます。
埋橋近くにて。人懐っこい鯉です。愛嬌があってとても可愛らしい。
松本城詳細
開場日・開場時間
年末(12月29日から31日)を除き無休
開場時間 通常 8:30~17:00(最終入場は16:30まで)
ゴールデンウィーク期間
2020年4月25日(土)から5月6日(水・振)まで
8:00~18:00(最終入場は17:30まで)
夏季期間
2020年8月8日(土)から8月16日(日)まで
2020年の情報です:コロナ等で変更になっている場合があるので観覧前に確認をお願いします。
松本城おもてなし隊
8:30~16:00の間、本丸庭園内に忍者などの装束をまとった「おもてなし隊」が登場します。
手持ちのカメラで撮影したり、おもてなし隊と一緒に撮影することができます。
※天候により時間などの変更があります。