こんにちは!totoです。
突然現れる 巨大廃虚、神子畑(みこばた)選鉱場跡。
ここは本当に日本なのか??
まずは写真で。
神子畑選鉱場跡とインクライン(左端) 平成16年に老朽化した建物が取り壊され、コンクリートの基礎のみが残っています。(近代化産業遺産)
インクラインとは傾斜面にレールを敷いて、動力で台車を動かして貨物を運ぶ装置のこと。各フロアーの資材と人の動きを担ってきました。
シックナー
使用済みの液体中に混じる個体粒子と水に分離する水槽。 (近代化産業遺産)
ムーセ旧居
明治初期、生野鉱山に派遣されたフランス人技師団の宿舎として建設された内の1つ。ムーセが住んでいたとされています。
神子畑鉱山事務舎として、明治21年に生野より移築、使用されました。
(重要文化財・近代化産業遺産)
現在は神子派畑鉱山や選鉱場跡の歴史を紹介、展示する
資料館となっています。
一円電車
昭和20年、従業員とその家族の交通をはかるために鉱石運搬電車を客車に。
その乗車価格は 当時1円!
神子畑鉱山から東洋一の選鉱場へ。
自然豊かな地域のなか、いきなり現れる圧倒的な存在感。
神子畑選鉱場は兵庫県朝来市佐嚢(さのう)に位置し、かつて隣町にあった明延(あけのべ)鉱山の選鉱施設として生まれ変わりました。
というのも、1904(明治37)年までは銀鉱山として繁栄していたからです。 しかし、徐々に鉱脈が減少し衰退していきました。
1909(明治42)年に明延鉱山で鈴鉱脈が発見されたことで採鉱は明延に移ります。
約6キロ離れた明延鉱山の鉱石を選別するために、山の斜面を利用して建てられた選鉱所。その後は徐々に拡張し、1940(昭和15)年の工事を経て、「東洋一」といわれる規模となりました。
2003年の調査では、22階層、高低差75メートル、幅110メートル、斜距離165メートルという大きさが確認されています。
(1987(昭和62)年の閉鎖後は立ち入り禁止となっており中には入れません。)
現在は鉄筋コンクリートの基礎構造物と、選鉱場の上下を結んでいたインクラインの跡が残されるのみとなりましたが、圧倒的な存在感は健在です!
かつての選鉱所の写真。
最盛期には、24時間稼働で「不夜城」と呼ばれていた。
370世帯が生活しており、鉱山が経営するスーパー(購買会)・映画、芝居、コンサート(協和会館)・卓球、柔道、ビリヤード(文化会館)など、鉱山従業員の福利厚生施設も充実していたようです。
神子畑交流館
2020年に新しくオープンした神子畑交流館には、明延~神子畑間のジオラマ模型、山神祭に使用された神輿や映画に使用した映写機の展示が行われています。
(10:00〜17:00 水曜日休館)
また、シックナーをモチーフにしたTシャツやトートバッグなどが販売されています。 かわいいデザインでしたよ?
神子畑選鉱場跡詳細.アクセス
神子畑選鉱場跡
兵庫県朝来市佐嚢1826番地1
問い合わせ:
朝来市あさご観光協会
TEL:079-677-2111(平日)
神子畑鉱石の道推進協議会
TEL:079-677-1717(土日祝)
料金 無料
http://mikobata.com/
電車でのアクセス
JR山陽本線・姫路駅へ。JR播但線に乗り換え新井駅下車。タクシーで10分。
車でのアクセス
播但連絡道・朝来ICより国道429号線を西向き(宍粟市一宮町方面)に約15分。
終わりに
以前から、廃墟好きや産業遺産ファンの間では知られていた神子畑選鉱場跡。
2017年の日本遺産認定をきっかけに数多くのメディアで取り上げられるようになりました。
時代と共に形をかえて日本の経済を支えてきた神子畑。 現在も残る選鉱場跡の圧倒的な存在感は、コンクリートの基礎のみとなった今でも体感することができます。
その深い歴史を私たちに伝えてくれる、まさに「東洋一」を実感できる産業遺産です。
是非自身でその存在感を体感して下さい。
そして、これもなかなか。
道中の景色も是非ぜひ堪能して下さい。
それでは。